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    • 2015.06.25 Thursday
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    Wiggle Honda 所属 萩原麻由子選手 インタビュー Vol.01

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      萩原選手のインタビューVol.01となります。(聞き手;コルナゴ・ジャパン、スタッフ岡崎)

      ●ヨーロッパプロとして2シーズン目、お疲れ様でした
      萩原;ありがとうございます。今年は全日本のロードとタイムトライアルの2冠を達成できたという点で満足のいくシーズンだったように思います。昨年は加入1年目でチームの母体となる居住地がベルギーの街中にあり、選手生活を送るうえではなかなか大変でしたが今年は生活環境を改善しそれが良い成績に繋がったかと思います。


      ©Sonoko Tanaka


      ©Hideaki Takagi


      ●何が大変だったのですか?
      萩原;ベルギーの中心部からトレーニングができる場所に行きつくまで1時間ほどかかり、走行時間のわりに強度が上がらなかった点です。与えられた中で最大限努力したつもりですが私には難しい環境でした。


      ●なるほど、今年はどこへ居住地を移されたのですか?
      萩原;はい、現在はドイツ人コーチにトレーニングメニューづくりをお任せしており、そのコーチの知り合いの家(ドイツ)にホームステイさせていただいています?


      ●ホームステイ!すばらしいですね。
      萩原;はい、ただレースがない日は基本的にホストファミリーと同じ時間帯での生活を心がけていますので、食事に関しては出されてものは完食するように心がけています。ドイツの家庭は昼食をメインとし、夕食はパンとチーズのみというのが当たり前のようです。体重の調整が必要なロード選手にとっては軽めの夕食は幸いです。


      ●レース会場までのアクセスはどのようにされていますか?
      萩原;レース用バイクはチームが管理しており、現地まではウエア類等の着替えだけ持っていけばよいのです。電車で行くこともあれば、他チームのスタッフの車に乗せていってもらうこともあります。


      ●契約は単年契約ですか?それとも複数年?
      萩原;単年契約です。チームでトップ3に入る実力がなければ複数年契約は獲得できません。



      ©www.girorosa.it


      ●そうなんですか、厳しい世界ですね。さて、国内ではナショナルチームのメンバーに選出されていますが初戦はどのレースになりそうですか?
      萩原; 2015年2月にタイで行われるアジア選手権です。12月からしっかりと乗り込みを行い、良い結果でシーズンをスタートさせるつもりでいます。
       

      ●Wiggle Hondaチームの2015年シーズンはコルナゴとの契約が続行されますが、モデルはどれになりそうですか?
      萩原;V1-rです。軽量のフレームとエアロフォルムが気に入っています。アジア選手権に向け早速バイクに体を合わせていきたいと思います。


      さて、萩原さんと言えば国内およびアジアのタイトルを総ナメし、2012年ロンドンオリンピックにも出場されました。沖美穂選手という偉大な選手の全日本選手権9連覇を阻んだのが萩原さん。当時のレースシーンを知る者にとっては競技人口の少ない日本の女子レース界にあって異次元の2名が切磋琢磨していたようにも見えましたが。
      萩原;高校生から自転車競技をはじめて、そのころはとにかく日々進歩していました。高校卒業時に一度ヨーロッパ行を夢見ましたが、まずどうやって行けばいいのかもわからず、親に相談したところ大学へ進学しなさいと勧められました。大学は自転車競技の名門の鹿屋体育大学で黒川監督の元、男子選手に交じって毎日トレーニングを重ねました。沖さんに追いつくのが目標で気がつけば肩を並べることができ、やがて沖選手が引退し、トップへと位置づけされるようになりましたがそれを良いプレッシャーに変えてここまで来ました。


      ●順風満帆な選手人生に見えるのですが、実際は結構苦労されていますよね(笑)
      萩原;ええ。私はこんな性格なもので傍からみればぼーっとしているように見られがちですが、いろんな葛藤があるのです(笑)




      私事になりますが、萩原さんと共に2006年のカタールで行われたアジア大会に出場しました。女子ロードレースで金メダルを取り、その夜はレストランで祝杯を皆であげましたね。しかし、翌日バンクトレーニング中に激しく転倒し股関節骨折の大けがを負いました。車いすのまま帰国していった萩原さんのことは今でも目に焼き付いていますし、これでしばらく復帰は厳しいだろうなと正直思いましたよ。
      萩原;そうですね。金メダル獲得という重責を果たすことができ、でも翌日は地獄行き、みたいな(笑)ただ、まだそのころは若かったし(大学2年生)何とかなるだろうと案外楽観的でした。翌年からはレースに復帰しましたし。ただ半身のしびれがあり後遺症は若干残りました。


      ●大学卒業後の道はアサヒレーシングで走られましたね。どのような経緯で加入されたのですか?
      萩原;私が加入する前年から女子チームが発足され、2012年ロンドンオリンピック出場を目標に掲げ、コーチに元プロロード選手の三浦恭資氏についていただき、仕事とトレーニングが両立できる環境を用意していただきました。


      ●ロンドンオリンピック出場が決まった時はどんな気持ちでしたか?
      萩原;決まった日はものすごく興奮し、家族や友人と喜びを分かち合いました。職場の同僚からも多くの称賛をいただきました。
       

      ●オリンピックは残念ながら途中棄権という結果でしたが、萩原さん自身の心境の変化などありましたか?
      萩原;アサヒレーシングではオリンピック出場という目標に向かって走り続け、代表選手となりレースを走りました。ヨーロッパの選手たちと共に戦う機会は世界選手権等の限られた機会でしかなく、オリンピックが途中棄権で終わったことで自分の中で「ここ(日本)にいてはいけない、私の居場所は他にある」と強く感じるようになりました。2012年も終わりに差し掛かったころ、新チーム「Wiggle Honda」からお声がかかりました。インターナショナルな強いチームを結成するにあたりに日本のチャンピオンがほしいという理由です。人生のターニングポイントは今だと感じすぐ契約交渉にはいりました。

      Vol.02につづく

       


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